2025年6月22日礼拝 説教要旨

叫ぶ者の声が(マタイ3:1~6)

松田聖一牧師

 

留守番電話の贈り物、というタイトルで、こんな言葉が寄せられていました。

 

掃除中ふと、電話機に目が留まった。ディスプレーに留守番電話の録音メモリーがいっぱいという表示が出ていた。何年もその機能を触っていなかったので、削除するために最初の録音から聞くボタンを押した。「赤ちゃんできたってね。おばあちゃん安心したよ。これからは体に気を付けて」。流れてきたのは、昨年亡くなった祖母の懐かしい声だった。その後、何件か入っていた。「今日は、遊びに来てくれてありがとう。お小遣い、準備していたけど渡すのを忘れてね、後で送るけんね」。声をきくうち、涙とともにたくさんの思い出が頭を巡った。大学生活を送っていた長崎に祖母が遊びに来た時、蝉の声が響く平和公園の木陰を2人でいつまでも歩きながら話をした。戦争の時に祖父と旧満州に渡り、幼い私の父を連れて小船に乗り命がけで戻って来たこと、3人の子を抱えて学校に通い美容院を開いたこと‥‥。話してくれたことは全部覚えている。努力と苦労を重ねて生きた祖母だった。私は今、おばあちゃんが見ることはなかった2人目の娘を育てています。空から見えていますか。私の記憶を娘たちにも伝えていこうと思っています。

 

「赤ちゃんできたってね。おばあちゃん安心したよ。これからは体に気を付けて」その声を、後から聞くとまた違って聞こえてきます。そしてその後からの声は、その後のいろいろなことと重なって、留守番電話の贈り物という声になっていったのではないかと思います。それは、留守電のその声が、その時だけの声ではなくて、後に続く声となっていくからです。

 

洗礼者ヨハネが宣べ伝えた、この声「悔い改めよ。天の国は近づいた」の後も、そうです。この声をもって、ヨハネは荒れ野で宣べ伝えますが、その声によって、「エルサレムとユダヤ全土から、またヨルダン川沿いの地方一体から」、人々がヨハネのもとにやってくるんです。そして罪を告白して、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたと言う出来事に繋がっていくんです。

 

それにしても、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝えた洗礼者ヨハネのもとに、これだけの人々が集まってくるというのは、どういうことでしょうか?人を集める魅力がヨハネにあったからでしょうか?でもそういうことは、ここに何も書かれていませんし、その通り、ヨハネは、荒れ野に、隠れるようにして過ごしていましたし、身にまとうものを見ても、ラクダの毛衣、腰には革の帯ということですから、パッと見て目に付くような、赤とか黄色という目立つ色ではありません。どちらかと言うと、くすんだと言いますか、地味な色です。それはまた、ヨハネ自身が、目立たないように、自分の身を隠そうとしていたと言えます。

 

その一方で、私たちはどうでしょう?目立たないように、自分の身を隠そうとするというのは、時と場合によってあると思います。が、目立たないように、自分自身を隠そうとしていても、100%本当にそうしよう、そうあろうとしているかというと、目立たないように・・・という中でも、目立ちたい、隠すのではなく、表に出たい、という思いはどこかにあるのではないでしょうか?それは、自分を認めてほしい、受け入れてほしい、認められたいという思いが、どこかにずっとあるからだと思います。

 

今から25年くらい前だったでしょうか?最初に赴任した教会で、70代の方と、60代の方とが服の色について、あれこれしゃべっておられました。その中に、なぜか当時まだ20代だった私もいたわけですが、こんなやり取りでした。「奥さん~年を取りますとな~顔も、他のところもいろいろと老けてきますやろ~そして服もだんだん地味になってきますわ~そうなると余計にふけた感じになる~そやからな、服はできるだけ派手な色の方がええですえ~」「そうですか~」「そうでっせ~顔はこんなになってきますからな、服の色は赤とか、派手な方がええですよ~」そうするうちに、私の方に顔を向けられて、「先生は、まだ若いから、派手にせんでも、顔もなんでも若々しいから、そんなことをせんでも大丈夫!」と言われまして、へえそんなものかなと思ったことですが、それから30年経っても、未だに若いと言われることがありますので、内心複雑な感覚になりますが、派手な色の方がいいという思いは、自分がここにいる!ということを、アピールというほどではなくても、認めてほしいということではないでしょうか?そのために、服の色を変えて、その人の見た目、見た感じを変えようとするのではないかと思います。

 

そういう変化をもたらす色に対して、パッと目に入るような色彩ではない、地味な、革の帯、またラクダの毛衣は、皮だけではなくて、ラクダの毛までついた衣ということになりますから、相当と言いますか、ラクダの強烈な臭いがあったと思います。聖書には、臭いを描写しているところは、わずかしかありませんが、ラクダの臭いというのは、相当なものです。ということは、ウナギのかば焼きのように、その臭いに誘われて人が集まってくるというのとは、まるで反対の臭いがするものを、身にまとっているヨハネのもとに、人々が集まって来たというのは、見た目のヨハネに惹かれたのではなく、またヨハネに何か人を引き寄せる力があったというのでもなくて、ヨハネが宣べ伝えた神さまの言葉、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と共に、神さまが、ヨハネと一緒にいてくださったからこそ、その神さまのもとに、人々が集まって来たのではないでしょうか?

 

その証拠に、「洗礼者ヨハネが現れて」の「現れて」には、傍らに立って、近くにいて、助けていると言う意味があるからです。ところが、荒れ野に現れたヨハネが、単独で荒れ野に現れて、誰かの側にいるのかというと、この時、ヨハネ1人です。誰か集まっていたから、そこに行こうかとヨハネが、現れたわけではなくて、またそういうヨハネの、助ける対象の人が、ヨハネの側にいて、それでヨハネは、誰かの傍ら近くに立って、助けているというよりも、逆に、1人で現れたヨハネの側に、ヨハネのそば近くで、ヨハネを助けていた方、神さまがいたということではないでしょうか?そしてその神さまが、神さまの言葉をヨハネに与えて、その言葉と共に、ヨハネの側に、近くにいてくださったということが、「現れて」に繋がっているのではないでしょうか?

 

だからこそ、ヨハネは、目立たない、身を隠すように姿をしていても、またどんなに強烈な臭いがあったとしても、そういう姿だからこそ、ヨハネが逆に神さまの言葉だけを伝えていくという役割を、ここで果たしているのではないでしょうか?

 

そのことを、神さまは、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。」ヨハネが荒れ野で叫んだとか、叫ぶ者の声のぬしは、ヨハネだといったとか、叫んだヨハネと言う人がいるということを、預言しているのではなくて、ヨハネ自身は表には出なくとも、神さまの言葉を、荒れ野で叫ぶ者の声だと、紹介しているんです。

 

そう言う意味では、叫ぶ者が、どんな人だったのかとか、どんな声なのかといったことは、具体的でなくてもいいんです。むしろ誰が語ったとか、誰が叫んだということよりも、神さまの言葉がただ語られていくということを、神さまは望んでおられるということなんです。そしてその言葉を与えて下さった神さまは、ヨハネだけではなくて、私たちが、どんな姿であっても、その姿を隠して下さり、神さまの言葉を、神さまの言葉だけを、叫ぶ者の声として、周りの人々に語り、伝え、そして広めて下さるんです。その結果、神さまの言葉に招かれ、導かれ、神さまを信じていかれる方々が、その言葉の周りに与えられていくということなんです。

 

「すべてを主にゆだねて」というタイトルで、ご自身が洗礼を受けた時のことを含めて、こんな証しがあります。

 

「神さまにすべてを委ねなさい」それは受洗を拒む私に、夫を通して神さまが語られたのでした。そしてキリスト教についてほとんど何も知らないわたしに、神さまは、夫と共に洗礼の恵みをお与えくださいました。それは主の憐れみと恵みによったのです。

あれから11年、私も83歳になりました。病床洗礼を受けて二週間後に夫は天国に召されました。今振り返ってみると、神さまは残された私に、洗礼の恵みという最高の贈り物をお与えくださったのでした。

洗礼前の私は病弱で半分寝たり起きたりの毎日でした。そんな私に夫は、よく本を読み聞かせてくれました。私を呼んで「とても良いことが書いてあるから」と言って、塩狩峠など長い小説も感動的な場面を読んでくれました。夫は娘からの勧めもあって、キリスト教の本を好んで読むようになり、いつしか礼拝にも毎週出席するようになりました。1983年の夫の日記を見ますと、日曜日のところにはいつも、「教会の礼拝に出席」と書いています。そしてある日には「キリストとの出会いにより生き方が変えられる」と書いています。そして夫が入門クラスを終了した時に書いた証しには、終わりの方に次のように記しています。「天にいます父なる御神さま、願わくば私の頑なな心を砕いてくださった、主イエス・キリストを受け入れさせてくださいますよう、主イエス・キリストの御名を通してお祈りします。」真実なる神さまは、この夫の願いを聴いて下さいました。1985年7月7日私たちは洗礼を授けて頂きました。夫の目には喜びの涙があふれ、頬を流れていきました。讃美歌199番を大きな声で歌い、本当に感謝でした。私は今、神さまと導いてくださった先生を始め、多くの兄弟姉妹方に心からお礼を述べたいと思います。

私が一番うれしいことは、教会の温かいまじわりと、息子夫婦が私を大切に親切にしてくれることです。また心の中がそれまでは淋しかったけど、今は平安があることです。主日礼拝に欠かさず出席できるのも、息子夫婦の協力があるからです。教会まで車で15分かかりますが、気持ちよく送迎してくれます。すべての面で弱さを覚える者ですが、歯を磨く時も、薬を飲む時も、お風呂に入る時も祈ります。寝る前も感謝のお祈りをし、讃美歌を歌って主の祈りをして休ませていただきます。朝6時まで一息に眠ります。・・・・老いて転んだりすることも多くなりましたが、主が共にいて下さり、不思議といつも支えられ、守られていますことも大きな恵みです。今までに神さまから頂いたお恵みは、本当にたくさんあって数えきれません。心から感謝申し上げます。「見よ、わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」

 

「見よ、わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」神さまのこの言葉を、誰もが、叫ぶ者になり、誰もが叫ぶ者の声とされていきます。そしてその神さまの言葉を聞いた人々の中に、神さまへの信頼、神さまへの信仰が、神さまによって与えられ、神さまを信じて洗礼を受けていかれる方々が与えられていくんです。それは、ヨハネのこの時だけでありません。イザヤという預言者が現れた時だけでもありません。今も続いています。

 

祈りましょう。

説教要旨(6月22日)叫ぶ者の声が(マタイ3:1~6)