2023年9月10日礼拝 説教要旨
背負わされて(ルカ14:25~35)
松田聖一牧師
おぎゃあと生まれた赤ちゃんが、その生まれた瞬間に、身に着けているものは何もありません。でもその赤ちゃんが生まれた瞬間から、いろいろなものを持ち始めます。産着に始まり、その赤ちゃんには、いろいろなものが加わってきますね。そのことについて、ある方が、こんなことをおっしゃっていました。
生まれてきたときは何も持たずに生まれてきた。服すらも身につけていなかった。それから五十年経った今ではどうだろうか。持ちきれないほどのものを抱え、背負いきれないほどの荷物を背負っている。時々重たくて、重たくて少し荷物を減らそうと思うこともあるが、なかなか何を減らして何を残せば良いのか迷ってしまい結局何も捨てられずにいる。
人が生きていること、生きてきたことというのは、いろいろなものを持ち、あるいは背負いながら、背負ったものを持ち続けているということでもあるでしょう。それは自分から背負ったものだけでなく、背負わされたものもあるのではないでしょうか?
それはイエスさまに一緒についてきた、大勢の群衆、その群衆を構成する1人1人の人においてもそうです。この人たちも、それぞれに背負い、背負わされたものがありました。ただし、ここでは、群集の中にいる1人の人については、記されていません。しかしそうであっても、この群衆が群衆となるためには、それぞれの背景と背負ったものを持ち続けている人が、集まってこそ、群集となっているのです。その群衆となったことを別の見方をすれば、その群衆の中にいる1人の人は、その群集の中に、うずもれているということと、1人のその人がそれぞれに、群集を隠れ蓑のようにして、自分の身を隠すと言いますか、自分の身を守ろうとして、大勢の群衆になっているとも言えるのではないでしょうか?
それは丁度小さな魚が、集まって、群れをつくることと似ています。それは群れの中にいる小魚たちが、自分を目立たなくさせ、自分たちを狙う大きな魚といった外敵から、自分の身を守るためです。大勢の群衆となっているということも、そうです。しかし、そもそも、イエスさまの前に、自分の姿を隠そうとしなくても、群集の中に自分を紛れ込ませる必要はあるのでしょうか?いいえそんな必要は全く、ありません。イエスさまは、守って下さるお方です。襲うお方ではありませんから、イエスさまから、隠れるようにすることも、自分の身を守るということをしなくてもいいのです。しかしそういうことになっているのは、その人に、何か理由があるのかもしれません。何か恐れがあるのかもしれません。自分を群衆に紛れ込ませたいほどの、何かがあるのでしょうか?そうはいっても、そこにひそめながらも、見えない所から、しっかりと自分自身を群衆に向かって出しているのでしょうか?そういう意味は、周りからは見えないところに、まぎれていても、しっかりと存在感はあるのです。だからこそ、イエスさまは、大勢の群衆の中で、誰が、どこにいるか?埋もれて、まぎれて、分からなくなっていても、それでもそこにいる一人の人に対して「だれかが」と語っておられるのです。イエスさまは、イエスさまに一緒についてきた、隠れるようにして、まぎれるようにしていても、だれかがここにいるということを分かっておられるのです。
しかし同時に、群集の中にいる人々にとっては、だれかがと言われても、誰がどこにいるか分からない状態ですから、自分のことではなくて、誰か他の人のことで、自分には関係ない、という意識になっていくのではないでしょうか?
ある時に、大阪の弁天町という町にある大阪環状線の弁天町駅を降りて、地下道に入った時、そこに1人女性の方が、うずくまっていました。どうしたんだろう?と思いながら、最初はふっと振り返って、そのまま通り過ぎました。でも気になったので、もう一度その方のところに戻って、「どうされたのですか?」と尋ねると、あ~とかう~とかおっしゃっているのです。これはおかしいと思いましたので、とにかく駅の交番に連れて行こうと思いました。その方を起こして、駅がすぐでしたので、そこに連れて行こうとした時、地下道には本当にたくさんの方々が、通っているのです。ところが、沢山の方が、そこにいるのに、誰も見向きもしません。誰も立ち止まろうともしませんでした。内心、誰かが、どうかされたのですか?と尋ねてくれるかな?と思いましたが、誰一人いませんでした。それでも交番に連れていこうとしましたら、その方が嫌がって、自分で行けるというそぶりを示したので、それ以上は、どうしようもありませんでした。とりあえず、交番はこっちだと、その前まで案内して、後は、その方にお任せの形になりました。今でも、ふと、あの方はあの後どうなったのだろう?と思いますが、それは分かりません。
その出来事を振り返りながら、受け取らせていただいたことは、大勢と言う中にいると、心のどこかで、誰かがしてくれる、自分じゃなくてもいいのではないか?と言う思いが出て来るのではないだろうかということです。周りにはたくさんの方がいるのに、誰も振り返ろうとも、立ち止まろうともしなかったということに対して、どうこうということではなくて、自分自身も、大勢の側に立つことがあるのではないか?ということです。大勢の中に立つとき、自分もそこにまぎれ、誰かが、してくれる、自分以外のみんなが、してくれるとどこかで思ってしまうのではないか?群衆に依存してしまうのではないか?ということです。そういう意味で、誰かが、とイエスさまがおっしゃられる時、自分のこととして受け取るか、あるいは誰かほかの人、自分以外の誰か、と受け取るかによって、つまり、自分がその当事者になるか、ならないかによって、その意味が、全く違ってきます。
イエスさまは、私たち自身が、大勢の中にまぎれながら、どこかで自分以外の誰か、自分は関係ないというところに立とうとするからこそ、だれかがわたしのもとに来るとしても、「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」とおっしゃられるのは、どんなに自分は関係ないと受け取っていたとしても、人との関係なしに、わたしはいないということ、わたしという一人の人は、人との関係の中で、生まれ育った、1人の人じゃないか!ということを、現わし示しておられるんです。
具体的には、自分が父親になり、あるいは、自分が母親になるのには、妻になること、ご主人であるその人と結婚する、ということがなければ、始まりません。そもそも、結婚されるということは、すごい人間関係ですよね。なぜならば、お互いに他人同士が一緒になるということですから、それ自体、奇跡的なことです。そこで子供が出てきますが、その子供は、兄弟、姉妹との繋がりがありますし、何よりも、父、母との関係が必ずあります。その子供には、父親と母親が、必ずいます。そして妻になられたその方が、母親になるという時には、出産という大きな出来事があります。それは母子共に、命がけのことです。自分の命、自分自身が大いにかかわっていきます。そう言う意味で、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹、自分の命、とわたしとの関係には、全てにおいて、命が関わっています。そしてその関わる命はすべて、神さまから与えられたものです。神さまが関わり、神さまが支えて下さっている命ではない、命はありません。
その命との関わりの中で、「これを憎まないなら」という、びっくりするような言葉を用いられるのは、イエスさまが、1人のその人と、家族との関係の中で、憎しみ合うということを認めているというよりも、具体的に、憎むほどの関係があるか?憎むほどの関係を持とうとしているか?持とうとしてきたか?という問いなのです。逆に言えば、自分自身と、家族との関係は、当たり障りのない、関係になってはいないか?命がけの、命が大いにかかわった結果、家族がそこにいるのに、その家族との関係は、今どうなっているか?ということを、イエスさまはおっしゃっておられるのではないでしょうか?
しかし、現実には、自分にとっての、父、母、子供、兄弟、姉妹、といった家族であっても、いろんなことがあって、それこそ嫌だった、と感じることがあり、背負わされたと感じ、許せないと受け取っている時には、お互いに関わりたくないという思いになってしまうのではないでしょうか?それでもなお、関わらなければならないこともあると思います。そんな時、父親として、母親として、妻として、子供として、兄弟、姉妹として、関わるということを、背負わされ、背負わざるを得ない中では、関わってはいても、心は離れ、心は無関心であるということもあると思います。関わりが、ただ機械的になっている場合もあるかもしれません。
それほどに、関わるということは、楽なことばかりではありません。でも関わりながら、背負いたくない、ことであっても、それがかえって「自分の十字架」となり、それを「背負ってついてくるものでなければ」とイエスさまがおっしゃられるのは、その言葉の意味が、「自分の十字架を背負わないものだから」ということ、つまり、関わりながら、背負いたくない、自分の手から離したいと思っていること自身が、「自分の十字架を背負わないものだ」と、イエスさまがおっしゃっておられる通りになっているからです。
その結果、「わたしの弟子ではありえない」と言うのは、イエスさまが、もう知らないと放っておかれるということではなくて、私たちが、そういう生き方である限り、イエスさまからすれば、わたしの弟子ではありえない姿となっているのです。しかしそうであっても、あり得ないと言われて初めて、自分自身が、どういう生き方をしているか?背負い、背負わされたことに対して、関わりたくない、背負いたくない、そして背負いきれなかったという事実と、向き合えるように、導いておられるのではないでしょうか?そういう意味で、あり得ない、とはっきりと言われ、示されないと、なかなか自分の事実に向き合えないのではないでしょうか?いつまでたっても、だれかに、のままで、わたしに、たどり着かないのではないでしょうか?
それが28節以下の姿でもあります。ここでは、塔を建てようとするという時、造りあげるのに、十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって「あの人は建て始めたが、完成することはできなかった」と言うだろうというのには、あなたがたがみんなで協力してやろうとしたのではなくて、「あなたがたのうち」あの人は、と言うことですから、あの人と言う、1人の人がやろうとしたことに対して、まわりのあなたがたは、自分以外のだれかがやってくれると、他人事になっていたということなのです。建て始めた、あの人には、関わりたくない、背負いたくない、というあなたがたがいたのです。理由はいろいろあったと思います。しかし、いろいろあったとしても、塔を建てようとしたあの人、と一緒になって、やろうとしたのではなかったのです。関わらなかったのです。あの人から、離れたのです。その結果、完成することができなかったのです。そのことを自分以外の誰かに、ではなくて、自分自身に当てはめていこうとする時、自分が、背負いきれなかった、背負いたくなかったということを、認めるかどうかというところに行きあたります。しかし、その時、なかなかプライドが邪魔をして、認めたくないとなってしまうのではないでしょうか?自分が負けたくない、負けを認めたくないという思いがあるからです。そういう認めたくない時には、負けを認めないといけない、負け戦であっても、それでも挑もうとしてしまうこともあるのではないでしょうか?
それが31節以下の、王と、王との戦いにも、現われているのです。ここで、「2万の兵を率いて進軍してくる敵を、自分の1万の兵で迎え撃つことができるかどうか。」2万に対して1万の兵力では、2万に対して2分の1です。戦力として、到底勝てないです。それなのに勝つことができないということを、認めようとしないと、負けを認められないと、勝ち目がないのに、負け戦なのに、戦いを迎え撃つことができると思い込み、あるいは1万の兵士たちに、精神論で迎え撃つことができる、それで勝利することができると思わせてしまうことも、負け戦の中で、起こり得るのではないでしょうか?
学徒動員というのが、1943年から始まりました。有無を言わさずの動員でした。しかし当時はもうすでに負け戦でした。それなのに、大勢の大学生、さらには少年兵といった、15,6歳の方々をも、動員していきました。そこにあったのは、負けるに決まっているのに、精神論で勝つことができると思いこませていくこと、マスコミも含めて、全体がその若い方々と、その家族に、負けを認めようとしないという方向に向けさせ、駆り出していったと言えるでしょう。その時のことを、当時大学生で、理系の研究室におられた方が、話して下さいました。その方は、国家プロジェクト的な特別な研究に携わっていたことで、学徒動員を免除されていました。その時、当局から、中国に行ってほしいと言われた時、ご本人は本当に行きたくて、行こうとしたのですが、担当の教授から、行くな!と言われたことがありました。その時は、本当に行きたかったので、くやしくて、くやしくて、教授に反発したとおっしゃっていましたが、その時、その先生が、その方と二人きりになった時、小さな声で、こうおっしゃいました。「この戦争は日本が負ける。日本が勝てる戦争ではない。だから行くな!」そう言われたことで、しぶしぶ中国行きを断念したことでした。でもそれで生き残ることができたのでした。それでも、焼夷弾が研究室周辺に落ちてきた時には、一生懸命に消火作業に当たったとか、研究で寝てはいけない実験があった時には、1週間寝ないで当たったというようなこともおっしゃっていました。そんな中で、教授が、行くな!日本は負ける!と言われた、そのことを振り返って、あのとき、先生が行くなと言ってくれなかったら、今生きていなかったかもしれない・・・そうおっしゃっていました。
できないということでも、それを認めようとしないと、根拠のない、できるという精神論に走っていきます。腰をすえて計算したり、腰をすえて考えるということ、自分で考えるということを、奪ってしまうのです。人から、自分で考えるということを奪ってしまうと、奪われたその人は、人の言いなりになってしまいます。そうであっても、できないものはできないし、勝てないものは勝てないのです。だからこそ、できないものはできない、と認めること、できないということを受け入れること、も、その時は、くやしくて、くやしくて、何で?という思いになっても、出来ないということにどんなに抵抗しても、できないということが分かるようになるということは、強いられた恵みであると言ってもいいのではないでしょうか?
だからこそイエスさまは、「もし、できないと分かれば」とおっしゃられるんです。その意味は、自分自身が、できないということが分かるためには、自分自身が、本当に、本気でできないと思えるようにならないと、できないということが分からないということです。
しかし本当にできないんだ、ということが分かると、それまで自分を縛っていた、出来ないと認めたらいけない、出来ない自分であったらいけないということから、解放されて、楽になれるのではないでしょうか?そして、心から、助けて!と言えるようになるのではないでしょうか?できないのに、出来る顔をして、そのまま走っていくと、どこかで破綻してしまいます。できないと分かることは、納得できない時もあると思います。でも、出来ないときには、出来ないということを受け入れられることもまた、お恵みであるというのは、できないということを、イエスさまは責めておられるのではないからです。責めるためにではなくて、できないということも、赦しておられるからです。赦しておられるからこそ、出来ないと分かることへと私たちを導かれたとき、出来ないことを赦して下さった、イエスさまの赦しに出会い、本当に助けてくださるイエスさまに出会うことができるのです。
そのために、イエスさまは、ご自分を塩に置き替えて、その塩も、塩気がなくなるということ、すなわち愚か者になること、効力を失ってダメになるということ、すなわち塩が塩でなくなること、塩としての働きができなくなることを、自らが受け入れておられるのです。そして、塩も塩気がなくなった、その塩は、何も味付けられない、外に投げ捨てられるだけだということをも、都の外に投げ捨てられるだけだ、という意味としておっしゃられる通り、できないということを、許すために、またできないということが分からないでいることも、出来ないということが、自分のことなのに、自分のこととして受け取れないでいることも、すべてを十字架において受け取ってくださったイエスさまの、十字架の赦しが、投げ捨てられた、都の外に建てられているのです。
その十字架において現わされたイエスさまの赦しを、イエスさまは、聞く耳のある者は聞きなさいとおっしゃいます。それは赦しを聞く耳を、与えてくださったイエスさまの赦しの言葉を、聞きなさいということなのです。イエスさまは、たとい、どんなに自分のこととして受け取れないでいても、なお、聞きなさいと、イエスさまの赦しの手が、いつも私たちに向かって、伸ばされています。その伸ばされたイエスさまの手に、私たちの手も重ねて歩むことがゆるされているのです。
主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が/神とお前たちとの間を隔て/お前たちの罪が神の御顔を隠させ/お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。 (イザヤ書 59章1~2節)