2023年6月11日礼拝説教要旨
なぜ断るのか(ルカ14:15~24)
松田聖一牧師
ある時に、一人のお年を召された方と、大阪に出かけることがありました。その方はペースメーカーを入れる手術をされた方でしたが、駅で待ち合わせをして、それじゃ一緒に行きましょうと切符を買おうとした時、その方から、買わなくてもいいんだ~僕は手術をして、障碍者手帳を持っているから、先生は僕の付き添いになるので、切符はいらないよ~とおっしゃられたことで、私は付き添い人ということになり、切符を買わずに電車に乗ることになりました。付き添いですから、それらしいことをするのかと思いきや、歩くのも早いし、付き添いをしたという感じになりませんでした。でも、その手帳があるということで、付き添い人になっていました。
そんな付き添う方が、今日の聖書箇所のすぐ前にある、イエスさまの譬えに出てきます、イエスさまに招かれ、イエスさまと一緒に食事をしていた方々にも必要だと言えます。というのは、イエスさまが招かれた人の中には、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人がいるからです。この方々は自分ひとりで来ることができるかというと、誰かの助け、元気な方の助けと付き添いがいるのではないでしょうか?体や足が不自由であれば、あるいは目の見えないということであれば、イエスさまの食事の席に招かれてはいても、誰かに助けてもらわないと来ることができない方々でもあります。また、当時の食事の方法というのは、一緒に横になって、寝そべって食べるというのが、食事のスタイルです。これは食事の時は、お互いに平等だということをあらわしてもいますから、そういう寝そべるという時、足を伸ばしたり、体を横にすることになります。でも、体の不自由な人、足の不自由な人にとっては、自分で自分の体や足を、思い通りには動かせない状態であるとも言えますから、体を横にするということも、足を伸ばすということにも、誰かに体を支えて頂いたり、足を伸ばしてもらうことも必要になります。
それだけではありません。この食事と言う言葉のもともとの意味は、パンを食べるという意味です。この時のパンとは、今のような柔らかい、食べやすいものではなくて、せんべいのようなパン、平焼きのパンとも呼ばれますが、それを指していると言えます。その平焼きのパンを、食器代わりにも使って、食事をすることもあったようです。そうなると、体の不自由な方は、手も不自由であれば、平焼きのパンを割って、差し上げないといけません。飲み込みが十分にできない方ですと、こまかく割って差し上げる必要があります。のどに詰まらせたら大変です。目の見えない方には、パンがここにあるよ~と教える必要があります。そういう手助けくださる方も含めて必要となる、イエスさまが招かれた神の国の食事のことを聞いた客の1人が、「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」と言ったのは、神さまが、貧しい人も、体の不自由な人も、足の不自由な人も、目の見えない人も招かれるということと共に、その方々をイエスさまのところに連れて来る人がいるということ、そして、その方々のために、お世話をいろいろされる人がいるということ、をも、素晴らしいことだ!何と幸いなことでしょう!と言っているのではないでしょうか?
先日の婦人研修会に、今年も何人かの方々とご一緒させていただくことができました。今年は、200人ほどの方々が参加され、いろいろなところから参加されていました。バスを借りて、まとまって来られてもいました。皆さんお元気でいらっしゃり、そのお元気な様子について、いろいろな方とのお話の中で、異口同音に、こうおっしゃっていました。「いや~皆さん、本当にお元気です。ここまで来るのに4時間かかるのですが、その間、ずっ~とお互いにしゃべりっぱなしでした。良くしゃべることがあるなあと思いましたが、それくらいにお元気でした~静かになることはなかったですねえ。」それに共感しました。伊那からですと1時間半ほどでつきますが、行きも帰りも、車の中が静かになることはなかったように思います。にぎやかな車中でした。そんな集まりに参加された方の中で、杖をついておられる方、車いすの方もおられました。それぞれに付き添いの方がおられ、荷物を持ったり、車いすを動かされたりとしておられました。目のご不自由な方もおられました。その方と一緒に食事の席に着いて、いろいろとお話することができました。その中で、一緒に座られた方が、その方に、そのお皿には、これがあるとか、お茶はここにありますよとか、いろいろと具体的に教えておられました。その姿を通して、そう言うお世話をくださる方がいて、来ることができた方がおられたということ、そして一緒に食事ができるようになったこと、それ以上に、いのちのパン、神さまから御言葉を通して、沢山のお恵みをいただくことができたのでした。
そういうことが「なんと幸いなことでしょう」になっているんです。食事と共に、いのちのパンをいただくことができた、神さまの御言葉をいただくことができたことは、何と幸いなことでしょう、なんです。
それは、その時だけではありません。わたしにも、神さまからのいのちのパン、聖書の御言葉を通して、神さまからたくさんの恵みがあることに気づけるように、一緒に連れて来てくれ、一緒にお世話を下さった、方々が私たち、わたしの周りにも、与えられているということではないでしょうか?
しかしその一方で、イエスさまは続けておっしゃる「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意はできましたから、おいでください』と言わせたとき、すると皆、次々に断ったとある通り、もう用意はできましたから、おいでください、に対して、ひたすらに断り続ける人たちと、その断る理由が出てきます。ここで、この断る時の、断り方は「皆、次々に断った」とありますが、それはみんながそれぞれに次々と理由をつけて断ったという意味なのかというと、招かれていた人たちが、その招きから離れて、イエスさまの招きから去っていくという意味なのです。彼らは、もうすでにイエスさまに招かれているのです。つまりイエスさまの招きは、彼らの断る前から、もうすでにあったということですし、招かれたその時には、ちゃんとはい分かりましたと、その招きを受けているのです。ところが、その招きから、招いて下さったイエスさまから、次々と離れて行くということ、そこにいろいろな理由と都合を言っていくということから言えることは、都合というのは、先にあるのではなくて、後から出て来るもの、後から作り上げていくもの、後から作り出していくものではないでしょうか?
そしてその都合として挙げる、畑を買ったので、見に行かねばなりませんということを、畑の立場から見る時、畑の方から、今、見に来てほしいと言っているわけではないのです。畑は何も言っていないのです。でも、その畑を見に行かねばならないと判断しているのは、畑ではなくて、畑を買った、その人です。それは牛を2頭ずつ5組買ったこともそうです。「それを調べに行くところです」と言って断っていますが、牛の方から、自分たちを調べてほしいと言っているわけではないのです。2頭の牛が1つのくびきに繋がれていることを、2頭ずつ、ということですが、その牛から、私たちが、ちゃんと繋がれているか、ちゃんと雄雌になっているか?ということを、調べてくれとは何も言っていません。また妻を迎えたばかりの人、新婚さんでしょうか?そういう新婚だから、「行くことが出来ません」と言っていることも、結婚したばかりの奥さんが、行かないで~と言っているのかというと、そういう言葉はないのです。行かないでと言っているわけではないのに、「行くことができません」と答えているのは、その人が、行くことができませんと判断しているからです。
そしてそれぞれ畑を見に行くこと、調べに行くこと、行くことができませんと言うことも、そういう判断をしてはいけないということでもないのです。ただそれを、招かれていたその宴会の用意が出来た、その時、「もう用意ができましたから、おいでください」と言われた時、今、しなければならないことは、「おいでください」と招かれたことに今、はいと、答えていくことではないでしょうか?しかしそういう招きから離れたその結果が、次々と断ったということなのです。
そのことを主人に報告した時、「家の主人は怒って僕に言った」とありますが、この家の主人は、僕を怒っているのではないのです。主人は確かに怒ってはいますが、その怒りは、僕には向けられていないのです。というのは、この怒ってと言う言葉の元々の意味は、懇願し、厳しく命じているという意味だからです。つまり、主人の怒り、主人の心からの願いは、招いておいた方々に来てほしいのに、それが断られたということ、そのものにあるのです。断った方々に対する怒りではないのです。断られたことそのものに対する怒りであり、そこから「ここに連れてきなさい」心からの願いとなっていくのは、断られても、断られても、ここに来てほしい!招きに応えてほしい!という主人の懇願があるのではないでしょうか?
だからこそ、主人は、僕に、あなたが急いでここに連れてきなさいと、広場や路地に出て行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れてきなさいと厳しく命じられるのです。でもこの方々をイエスさまのところに、あなたが連れてきなさいと言われても、具体的には大変です。体の不自由な方、目の見えない方、足の不自由な方を広場や、路地から連れてくることを僕一人でされる・・・どんなに大変なことか?どうやってできたのかと思いますが、(22)やがて僕が、「御主人様、仰せのとおりにいたしました」言われた通りに、僕はしたのですが、「まだ席があります」と言うと、主人は、「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と心から願うのです。この家をいっぱいにしてくれ!と、今度は通りや小道に出て行って、無理にでも、無理やりでも連れて来てほしいという願いが続くのは、ただ単に、その方々が、広場や路地、通りや小道にいるからではなくて、貧しい人々の中で、あるいは体の不自由な方々の中で、目の見えない人、足の不自由な人たちの中で、広場、広い大通りや、路地、すなわち町の中の通り、街路に、いろいろな人の助けがあって、出ることができる方々もいれば、通り、別の意味では人生、生き方に行き詰まり、どう生きて行けばいいのか分からないでいる、そして自分の中に壁を作ってしまい、その壁の内側に、仕切られたところででしか、生きることができない方々もおられるのです。生きる意味が分からないでいること、どう生きて行けばいいのか分からないでいること、それは、身体的に、ではなくても、精神的に、人生そのものに不自由さを感じていた方々だったとも言えるでしょう。その方々にも、この主人は、無理やりでも、神さまが招いてくださっていることを、ぜひ出て行って、そこにおられる方々にも伝えて、連れて来てほしいと、願っておられるのです。
神さまは、そこにまで目を配り、心を配っていて下さるのです。そして招き続けておられるからこそ、「ここに連れてきなさい」「この家をいっぱいにしてくれ」と心から願い続けておられるのです。
三重県に大王崎という岬があります。そこから太平洋が見渡せる灯台があります。その大王に戦後中国から引き上げた一人の方、山本丈喜知さんという方がおられました。彼は、イエスさまを信じて中国の教会にも通っておられましたが、戦争が終わると引き上げなければならなくなり、教会の方々と最後の礼拝後河原で持ちました。その時矢田先生という先生から、集まっていた方々にこうおっしゃいました。「皆さんはこれから日本に帰られますが、帰ったところでイエスさまを伝えていきなさい」と。その言葉を聞いて帰国され、大王に帰られた山本さんは、その言葉を忘れることがありませんでしたが、近くに教会がなかったことで、だんだんと礼拝から遠のいてしまいました。でもある時、これではいけないと思い立ち、導いてくださった矢田先生に手紙を書きましたら、返事が来て、今、ノルウェーから宣教師が日本にやってきているので、是非会いに行きなさいと言われ、その宣教師と会うことになり、大王迄来てくださいました。そのことがきっかけで、山本さんの家や、農協会館で教会が始まりました。そこに体の不自由な方、本当に困っておられる方々が集まって来て、聖書の言葉を通して、イエスさまを信じていかれる方々が与えられていきました。そのためには、その方々の住んでいる家を訪ね、教会や家庭集会に連れて行かれるのでした。ある時には、家での集会にあまりにもたくさんの方が来られたので、床が抜けてしまったこともあったそうですが、それは、どこに行ってもイエスさまを伝えなさいというその言葉と、その言葉に促されて、その宣教師に願ったこの言葉に始まるのでした。それが、この言葉、
「どうか、ここに来てください。イエスさまのことを伝えに来てください。」でした。
イエスさまを伝えていく時、いろいろな反応があります。断られることもあります。おいでくださいとの招きに対して、自分の今の都合を上げて、招きから離れてしまう方もあることは確かです。しかし、それにも増して、それ以上に、体のことで不自由を覚えておられる方、人生に行き詰まりを感じておられる方のところにまで、神さまの招き、ここにいらっしゃいとの招きが、人をして伝えられ、与えられていくのです。誰かが、誰かに伝えたことが、わたしにも与えられていくのです。
そのために、イエスさまはおっしゃいます。「ここに連れてきなさい」「この家をいっぱいにしてくれ」と。