2022年6月26日礼拝 説教要旨

主がしてくださったこと(マルコ5:1~20)

松田聖一牧師

 

海援隊というグループの曲に、「人として」という歌があります。その歌の歌詞には、こんなくだりがあります。「人として 人と出会い、人として人に迷い、人として人に傷つき、人として人と別れて・・・」そのように、人であることは、人と出会います。人であるということは、人に迷います。そして人に傷つきます。人として人に傷つき、また人を傷つける、ということも繰り返します。それが出会いそのものであると言ってもいいでしょう。そんな傷つくという時、それは体が傷つくこともあれば、心が傷つくことでもあります。その時心は、傷つけられ、痛手を受け、打ちのめされ、時にはこっぱみじんに打ち砕かれるということもあります。そして、傷つけられたその人は、自分を守ろうとして、鎧を身にまとい、人と関わることを避けようとし、関わるなという姿勢を見せたり、関わろうとすることに対して、時には激しい攻撃となって、相手に向かっていきます。

 

それは、ゲラサ人の地方に着いて、舟から上がられた、イエスさまのところに汚れた霊に取りつかれた人も、それとよく似ています。というのは、この人について「墓場を住まいとしており、もはやだれも鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」とありますが、人に何か危害を加えたとは書いていません。彼が叫んでいたところは墓場や山ですから、人が寄り付かないところです。しかしそこで昼も夜も叫んでいたり、1つの石ではなくて、いくつもの石で自分自身を打ち付けて、何度も何度も、自分自身を傷つけているのです。それは現在も続いているということです。というのは、「昼も夜も叫んでいたり」も、「自分を打ち叩いたりしていた」も、過去のこと、もう終わったことと言う意味ではなくて、現在もずっと続いているという現在分詞と呼ばれる形で書かれているからです。つまりこの人は、鎖は引きちぎり、足枷は砕いてしまったけれども、それで墓場や山に行ったり来たりしながらも、ずっと叫び続け、ずっと自分を石で傷つけ続けているのです。

 

その行為を、どんなに誰かが、やめさせようとしていても、誰も何もできない、誰も手が出せない、どうすることもできない状態であったのです。

 

どうしてそこまでになっているのでしょうか?それは彼が、それほどに傷つき、傷を負っていたからです。具体的には、彼を縛り付けていた足枷や鎖という意味から見て取れます。というのは、1つの足枷とか、1つの鎖というのではなくて、それぞれに複数です。つまりすごい数の足枷と鎖で縛られている状態でありながらも、彼はそれを引きちぎり、砕いていくという行為と、その行為の意味は、それほどに心傷つけられ、心に痛手を受け、打ちのめされているということがらがあるから、そうなっているんだということなのです。つまり、彼に対して、誰もどうすることもできない状態の背後には、彼が、自分でもコントロールできないほどに、傷ついて、痛手を受けて、打ちのめされ、疲れ果てていたという出来事があったからです。

 

今ご存命の方は、本当に少なくなりましたが、シベリアに抑留された方々の様子をうかがったことがありました。極寒の地のシベリアに戦後連れて行かれ、数年の強制労働の後、生きてようやく日本に帰って来られた方々の中には、別人のようになってしまった方もいるということを伺いました。人と関われなくなり、自分で自分を傷つけ、家族も、周りの方々も、どうすることもできない、どうしていいか分からない状態のままとなった方もいました。せっかく日本に帰って来れたのに、故郷の土を踏むことができたのに、半狂乱となり、自暴自棄になり、もう前のその人とは全く別人のようになっていたということが、ありました。それほどに人は、自分が自分でなくなるような出来事を経験する時、あまりにも大きな傷を受けた時、自分の身を守ろうとして、自分が自分でなくなっていくことが、この身に起こりうるのです。そして受けた傷が癒されないままに、それをずっと引きずってしまうこともあるのです。そういう意味で前とは全く違う、別人となって、どうすることもできない状態になっていたということの背後には、深い深い傷を受け、打ちのめされ、痛手を負っているということがあるのです。

 

それほどに自分自身が痛めつけられ、傷ついていた、自分が自分でなくなるほどに、痛手を受け、打ちのめされていた彼がイエスさまに出会っていく時、(6)イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。」イエスさまに向かって、かまわないでくれと大声で叫ぶのです。

 

「構わないでくれ」という言葉の意味は、わたしとあなたとは何か?どんな関係か?という関係を現す言葉です。つまりかまわないでくれと言いながらも、この人はイエスさまに向かって、わたしとあなたとは関係があります!と叫びながら、イエスさまを「あなた」と認めて、受け入れているのです。「かまわないでくれ」と、一見、イエスさまを拒絶しているようでありながらも、同時に、イエスさまに向かって、イエスさまを神さまの子と認めながら、イエスさまは、わたしにとってのあなただ、ということを叫んでいるのです。

 

そうであっても、イエスさまに浴びせる言葉は、すごい言葉です。というのは「後生だから」とある言葉は、一生に一度のお願いだからと、イエスさまに折り入って頼み込んでいます。と同時に、「後生だから」の意味は、わたしは神であるあなたを誓わせますと、汚れた霊は、イエスさまを神さまと認めながらも、神さまを、自分に誓わせていくのです。ただ感情的にすごい剣幕であるだけでなく、イエスさまをあなたと認め、受け入れているのにもかかわらず、神さまであるイエスさまを自分の支配下に置こうとするのです。

 

それでもイエスさまをあなたと認め、受け入れていることが、彼の口から出た時、イエスさまは、この人に向かって「汚れた霊、この人から出ていけ」と言われ、汚れた霊に出ていけと言われた時、イエスさまが、追い出されたのかというと、この汚れた霊は「豚の中に入り込み、乗り移らせてくれ」と願い、イエスさまがそれを許されたので、豚の中に入ったという構図です。その結果、豚は湖になだれ込み、次々とおぼれ死んだのです。つまり出ていけとは言われたし、その通りに出て行ったけれども、実は自分たちから、豚の中に入り込み、乗り移らせてくれと願った結果、そうなったということなのです。

 

そして取りつかれていた人は、「服を着、正気になって座っている」のです。その意味は、服を着せられて着ているということであり、誰かが着せてくれたということであり、そして正気になっているというのも、正気になってふるまうという意味ですから、理性がある状態になってふるまうのです。正気になっているのは確かです。しかし彼の中では、取りつかれていたこと、傷つけられていたというその傷にとらわれなくなり、もう過去にとらわれなくなった、全く過去から切り離され、100%そうなれたというのではなくて、どこかでまだ引きずられているものが、まだあるんです。

 

気丈にふるまうという言葉がありますね。本当は辛くて悲しくて、しんどいのに、人前では大丈夫なように見せていくことがあります。葬儀などにはそういう場面が見られます。来られた方々の前で気丈にふるまい、大丈夫なように見せていくのです。でも実は胸が張り裂けそうで、悲しみに打ちひしがれて、自分でもどうすることもできない状態から抜け出せないでいることが、気丈にふるまう、その姿の一方にあるのではないでしょうか?それが本当に自分なので、それを引きずっていくのです。

 

だからこの人も、自分が受けたことを、正気になってからも、取りつかれている、傷ついて、傷を受けたことに取りつかれているのは、過去のことで、もう済んだこととして片づけられないのです。過去は確かに過去です。でも過去となったことでも、それを引きずることもまたあるのです。せっかく正気になったのに、どうして傷に取りつかれているのか?もうレギオンが出て行ったのだから、もういいじゃないかと、第三者から見れば、そう思い、感じるかもしれません。でもたとい正気になっても、服を着せてくれる人がいても、暴れなくなっても、受けたことは、彼の中ではずっと続いているのです。

 

そんなこの人が、イエスさまに「一緒に行きたい」と願うのは、そこから新しい出発をしたい、癒して下さったイエスさまにこれからもずっとついていきたいということではないでしょうか?ただ単についていきたいということだけではないのです。たとい自分に服を着せて、助けてくださる人がいても、レギオンに取りつかれていたという過去を知っている人たちがいるところに、そのまま居続けていくことで、自分の過去に引きずられてしまう、戻ってしまうことを思ったからではないでしょうか?なぜならば、周りは、悪霊に取りつかれた人のこと、その成り行きを見てきているのです。豚に乗り移ったことも、正気に戻ったことも、見て、観察している人がいるのです。そしてそれを人々に語ったので、その人のことも、豚のことも周りの人々は知っているのです。ですから、正気に戻ったと言っても、それは確かであっても、そこにそのままいるということ、過去にこんなことがあったということを知っている人たちのところにいるということ、居続けることは、彼にとっては、大きなストレスではないでしょうか?

 

だからイエスさまに、「一緒に行きたいと願った」のではないでしょうか?過去を振り切って、過去を切り離して、新しい出発がしたいという思いになったのではないでしょうか?でもイエスさまはそれを「許さない」のです。その意味は、正気になった彼を全部否定しているのではないのです。彼がダメな人だということでもありません。彼は正気になったのです。ただ彼がイエスさまについていきたいと願い、そこから離れるということを、許さなかったのです。しかしそこでイエスさまは彼に新しい使命、目的を与えておられるのです。それが「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」ただ正気になったことだけではなく、豚に起こったこと、目の前で起きたことではなくて、それはそうだけれども、そのことを主がしてくださったこと、神さまが、憐れみの中で、してくださったことなんだということを、受け取りながら、神さまがしてくださったこと、神さまがどれほどに憐れみ、どんなに大切にしてくださったか!ということを、家族の方々にことごとく語りなさい、なのです。

 

ある時の聖研祈祷会で、なぜ牧師となったのか?という話題になりました。少しその時にもお分かちしましたが、小学校の先生になりたいと思ったのは、小学校5・6年に担任してくださった先生との出会いでした。その時に、先生っていいなあ、将来は先生になりたい!と思いまして、中学、高校とそれしか考えていませんでした。念願かなって学びが始まり、教育実習で付属小学校。こってりしぼられました。授業とは何たるものかということ、教材研究のことなど、基本的なことがらを教えていただく時でした。今思えば無茶苦茶な授業だったと思いますが、その時、授業がこんなに楽しいものだということを感じました。ますますなりたい!と思いました。それで、他の就職を考えずに採用試験のことと、もしもの時にはということで、大学院に進むことになっていました。結果は念願かない、赴任したのが名張市立美旗小学校という小学校でした。1992年4月のことです。1年目は右も左も分からない中でしたが、大変な中にも楽しい一年でした。そして翌年からは片道1時間半の通勤では大変だということで、名張駅近くにアパートを借り、初めての一人暮らしとなりました。その近くにあった教会が日本基督教団名張教会でした。その教会に通うようになり、毎週土曜日夕方から青年部の聖研祈祷会があるからと、誘われて通うようになりました。そこでは聖書を読み、そこから感じたことをお互いに分かち合う時でした。毎週土曜日の夜10時くらいまでしていたと思います。ある時、マルコ1章15節の御言葉、ペテロにイエスさまがわたしに従ってきなさいと言われた御言葉について、話し合っていた時、ペテロが「すぐに網を捨てて従った」という言葉から、「どうしてすぐに網を捨てることができたのか?どうして仕事を捨てることができたのか?」と問いかけられた時、かつて高校時代に母教会の先生から、神学校に行かないか?と言われて、断り続けていたことを思い出してしまいました。すっかりそのことを忘れていましたが、思い出してしまい、頭から離れなくなってしまいました。それからというもの、学校に向かう道すがら、頭から離れなくなり、どうしよう、どうしようとなりました。悩みました。せっかく念願かなってなったのに、この仕事を辞めるなんてできない!続けたいとも思いました。でも今年で終わるかもしれないとか、これから先どうなっていくのかとか、考えてしまうと、ますますわからなくなってしまいました。誰にも相談していませんでしたが、ある時、「ちいろば」という本で、イエスさまに従うというのは、イエスさまの言葉に従うことだという内容に出会いました。それを自分に当てはめた時、イエスさまがわたしについて来なさいと言われた言葉に、背を向けることは、イエスさまに従おうとしないことと同じだと思いました。それで辞職することを決めまして、人事異動調査書に記入する時期になった時、校長先生に、相談しました。

何と言って説明したらいいかと思いましたが、教会の方の仕事についてくれないかということがあるのですが・・・とお話した時、「ようわかるようわかる~」と、それではここに辞職と書いたらよろしいと、反対されるかと思いきや、すんなりいってしまいました。実は校長先生は、お寺の仕事も兼ねていらっしゃいまして、それも関係していたのかもしれませんが、とにかく1994年3月末をもって小学校を辞するということになりました。そして終了式の前日だったと思いますが、クラスの子どもたちに、神戸に行くことを伝えました。子どもたちは、びっくりしていましたが、翌日には学年中に広まっていました。そして終了式後のホームルームでは一人一人にひと言ずつ言葉をかけ、挨拶をし、廊下に出た時、一人の男の子が、わたしの膝にしがみついてきました。「美旗小学校やめるん?やめんといて~やめんといて~」泣きべそをかいて離れませんでした。返す言葉がありませんでした。子供たちが帰った後、がらんとした教室でお祈りしました。「神さま、この子どもたちがイエスさまを信じることができるように導いてください・・・」それから今日に至りますが、名張教会との出会い、牧師の岡山巌先生、青年部の方々との出会いを与えて下さった神さまが、ここまで持ち運んでくださったことを思います。

 

昨年、献堂式の案内を、年賀状をやり取りしている子どもたちにも送りました。後から、教会のホームページを見たとか、献堂式のYOUTUBEを見たと、年賀状に添えてありました。そして小学校5年、6年の担任の先生からも、見ているよ~伊那坂下教会にぜひ行きたいというお知らせもいただきました。その時、今から30年近く前に祈ったことを、神さまはちゃんと聞いてくださっていたことを知りました。主がしてくださったことばかりでした。

 

この人もそうでした。自分がどうとかこうとかではなくて、主がしてくださったことばかりでした。そしてそれを、語りました。その結果、聞いた身内の方々がどうなったか?人々がどうなっていったのかについては、詳しくは分かりません。でも主がしてくださったことを、そのまま語りなさいと言われたことを、その通りにしていくことを通して、主がしてくださったこと、神さまの憐れみが、確かにあるということです。そしてその時、イエスさまが、わたしにとっての、あなたとなっているのです。

 

祈りましょう。

説教要旨(6月26日)