「サムソン」

加藤 智恵 牧師   士師記 13章2~14節

 

  イスラエルの12部族は、征服した土地をそれぞれに分割して分け与えられました。しかし、複数の先住民族がその中に残っており、イスラエルの民は先住民族の影響を受けざるを得ませんでした。「主の僕ヌンの子ヨシュアは110歳の生涯を閉じ、……その後に主を知らず、主がイスラエルに行なわれた御業を知らない別の世代が起こった。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕える者となった」(士師記2:8~11)。このように世代が変わると、彼らはイスラエルの真の神を知らず、偶像崇拝など主の目に悪とされることを行ないました。そこで士師が立てられました。士師とは「裁きづかさ」という意味です。イスラエルは統一国家には至っておらず、初代の王サウル王が立てられるまで、神によってカナン各地には、指導者「裁きづかさ」、士師が興されたのです。預言者の先駆けとして神に選ばれた人たちで、12人の士師が聖書には出て来ます。サムソンは12番目に出て来る士師です。サムソンはイスラエルにとって強敵であるペリシテ人との戦いをした士師です。

 サムソンの誕生には、主イエス・キリストの誕生に似たところがあります。サムソンの母は不妊の女でしたが、主のみ使いがマノアの妻に現れて、「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが身ごもって男の子を産むだろう」と告げます。そして「産まれてくる子は体内にいる時から、ナジル人として神に捧げられているので、その子の頭にカミソリを当ててはならない。かれはペリシテ人の手から、イスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」と告げます。ナジル人とは「聖別された者」「神に捧げられた者」と言う意味を持っています。サムソンは外敵であるペリシテ人から守り、イスラエルを解き放つ救い主となるのです。ナジル人には、神の霊が宿っています。サムソンに代表されるナジル人の活躍に続いて、預言者の時代に入ります。神は預言者を通して、イスラエルに神の御心を知らせます。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言者は神の言葉を語った人です。しかし、人々は預言者を軽んじ、預言者の言葉を聞き入れようとはしませんでした。

 神はその様子を知り、誰も神に執り成す人がいないのに驚かれました。そこで神は悪から人々を救うためには、ご自分の御子を送るしか方法が無いと考えられました。御子の犠牲によってしかこの世を救うことができないと思われたのです。そこで神はご自分の愛する独り子イエスを犠牲にされて、私たちのためにこの世に送られたのです。イエスの誕生を祝うクリスマスが近づいてきました。心落ち着いてその時を待ちましょう。

 

説教要旨(12月13日)