「贖うお方」

加藤 智恵牧師   イザヤ書 59章12~20節

 

 イザヤ書は預言書の中でも最も長い書です。66章まであります。内容は3部に分かれ、まずユダ及びイスラエルに対する審判、次に諸外国に対する審判の宣告、最後の部分はメシア到来による終末的希望の告知が書いてあります。

 本日の聖書箇所は、最後の部分に当たり、約束された征服者について書いてあります。征服者は、復讐される方、そして救う方であります。神の力に疑いを持つ者は多くいました。自分たちは見捨てられているという思いを抱いていました。また、神は私たちを救うことができないのだと、不信仰な者たちもいました。しかし、そうではありません。自分たちの罪が神を遠ざけているのです。彼らは救いが来ないのは、主の手が短いからであり、耳が鈍くて聞き得ないからだとうそぶくのです。助けが来るのが遅いのは、神にあるのではなく、むしろユダやイスラエルの民の不義が神との間を遠ざけたのです。神は罪の中には現臨されないのです。

 イザヤは同胞の罪の重さをよく知っておりました。イザヤは堕落したユダとイスラエルと同じ状態に身を置いて、民を代表して罪を告白しています。イザヤは同胞の罪がいかに重いかを知っていました。イザヤは更に主に対して偽り背き、私たちの神から離れ去り、虐げと裏切りを謀り、偽りの言葉を心に抱き、またつぶやきますと、民の状況を告白します。そこで神が登場されます。神はこの世を御心に適う者によって保たれるお方です。しかし、そのような人はいないとイザヤは言います。神の心を心とし、力に於いて、知恵に於いて、一人も適任者はいませんでした。神はそのような状況を見て驚かれました。神の義がこの世において勝利を得るためには、神ご自身が立たれるより仕方がありませんでした。これは神の贖いを表しています。将来においては、人々の悪を贖うお方として、神ご自身が救い主イエス・キリストをお遣わしになられます。

 主なる神は必ず悪の力を克服されます。悪と戦うための武具として、主は鎧は恵み、兜は救い、衣は報復、上着は熱情をもって武装して、この世の悪に対して戦われます。また、主は人の業に従って報いられます。人は許されるか、それとも報復されるかどちらかなのです。報復とは、仕返しをすることで、神の審判を思わされます。神ご自身の介入の結果、西では神の御名を畏れ、東では神の栄光を恐れます。主の霊が全世界に吹くからです。主はシオンと罪を悔い改める人のもとに来られます。イスラエルの罪を悔い改める人のもとに来られます。神は悪に染まった暗闇を凌駕し、贖い主として来られます。

 ヘロデ大王がイスラエルを支配していた暗い世に、御子イエス・キリストは救い主としてお生れになりました。神は救い主をこの世に送ることを決断されていたのです。暗闇に光が近づいてきました。

説教要旨(12月6日)