「イスラエルの復興」
加藤 智恵 牧師 ミカ書 2章12~13節
ヨシュアの率いるイスラエルの民は、ヨルダン川を渡って約束の地カナンに入って、原住民をほとんど撲滅しました。そして、カナンの地に定住して、神からの恵みを受け、繁栄していきました。しかし、繁栄して行くにつれて、次第に神への信仰が薄れてゆきました。そしてダビデ王朝からソロモン王朝に移ると、ソロモン王朝は繁栄の極みまで達しました。ソロモン王の建てた神殿は荘厳でした。しかし、ソロモン王が亡くなると、イスラエルは北イスラエル10部族と南ユダ2部族に分かれました。異教徒の恐るべき偶像崇拝はこの間、イスラエルにとどまることなく浸透しました。人間は神の恩恵によって繁栄しながら、神を畏れることを忘れ、自分でこのような繁栄を造り出したかのように思ってしまいます。そして自分たちには、何でもできるのだと思い込んでしまいます。こうして滅亡への道を歩み始めるのです。北イスラエルは紀元前720年、アッシリアのサルゴン2世によって征服されました。南ユダも紀元前586年に、バビロン王ネブカドネツァルによって征服されます。ユダの民はバビロンに捕囚として連行されました。
ミカはイザヤと同時代の預言者でした。イザヤは宮廷預言者でしたが、ミカは平民の預言者でした。ミカは同胞に向かって激しい警告をしなければならなかったので、嘆きは深かったのです。神は全ての事に時を定めておられるのです。イスラエルにユダにそして私たちに下る艱難、災いは全て神の正しさを表しています。神の裁きは神の正しさと神の愛を表しています。神の裁きは愛するが故に、不正にまみれた者を裁くのです。神は御自分が選んだ民を裁かれますが、バビロン捕囚という70年の年月を経て、復興を預言します。神の民への裁きは、神も傍に居られて共に嘆いておられるのです。無関心でおられるのではありません。そして神が選ばれたイスラエルの民は、裁きの期間が満たされた時には、復興されるのです。神は必ず残りの民を残されます。残りの民とは、罪を犯さなかった民です。そこから復興が始まるのです。
本日の聖書個所ミカ書の2章12節~13節には、イスラエルの民の苦しみに呼応するかのように、散らされていた全イスラエルの残りの者が、一つに集められるという祝福の約束が高く奏でられます。これはバビロン捕囚から帰還することによって成就しましたが、遠い将来、終末において全面的に完全に成就しようとしていることといえます。優しく誠実な羊飼いは、同時に勇ましく力強い勝利の主であります。主は彼らの先頭に立ち、真っ先に進まれます。主は御自分の民を敵の手から奪い取り、民は主の後に従って行進します。勝利の主が共におられるので、もはや敗北することはありません。彼らは主の栄光の御旗をたなびかせて進みます。先頭を行かれるのは、彼らの王、主です。