「信仰の父、アブラハム」
加藤 智恵 牧師 創世記 13章1~18節
アブラムがハランに住んでいた時に、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」という主の御言葉を聞きました。せっかく築いた生活の場を捨てて、まだ見たこともない見知らぬ土地へと旅立つのです。アブラムには現状に訣別する覚悟が必要でした。そして、その目的地は主が示す地というだけで、なにも分からない地なのです。大抵の人ならば、「いやです。今更なぜ、そんな冒険をする必要があるでしょうか」と応えるでしょう。しかし、アブラムは「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」との御言葉を聞き、既に75歳という老人でありましたが、神へのひたむきな信頼だけが唯一の理由で、旅立ったのです。信仰とは、神の御言葉によって、自分中心の安易な生活から導き出され、神の御心に信頼してゆくことなのです。アブラムの人生は、本当の意味では、75歳から始まったと言えるでしょう。
アブラムの弟の子で甥のロトも、アブラムがハランの地を出発した時から、いつもアブラムに付き添っていました。そのためロトはアブラムに対する祝福に預かることが出来、その結果富む者となりました。彼らはベテルとアイとの間の、以前天幕を張った所に来ました。そこはアブラムが最初に祭壇を築いて、主を礼拝した所でした。しかし、その土地はアブラムとロトが一緒に住むには財産が多くなったので狭すぎました。彼らは長い間、一緒に行動してきたわけですが、争いを避けるために別れることになりました。ロトは東のソドムの町まで天幕を移して、そこに住んだのです。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していました。ロトはそのような邪悪な人々の住む町に住むことになってしまいました。
主はロトが別れて行った後に、「さあ、目を上げてあなたのいる場所から東西南北の全てを見渡しなさい。見える限りの土地をわたしは永久にあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。さあ、この土地を行きめぐるがよい。わたしはそれをあなたに与えるから」という言葉がアブラムに与えられたのです。アブラハムは信仰の父と言われている人です。彼は初めはアブラムつまり「尊敬すべき父」と呼ばれていました。しかし神の祝福の契約である子供が出来ない年になり、失望している時に主は、「満天の空の星のように、また海辺の数え切れない砂のように多くの子孫が生まれる」と言われました。その言葉をアブラムは信じました。アブラムは不可能を可能にして下さる神を信じたのです。この信仰によって、アブラムはアブラハム「多くの民の父」と改名しました。
旧約聖書はヘブライ語で書いてあります。ヘブライ語では、信じるという言葉はアーメンという語源の言葉を用います。アーメンこそ、アブラハムがきっぱりと自分から目を離して、ひたすらに全能の神を信じた態度を示す言葉なのです。