「キリストの愛を知る」
加藤 智恵牧師 エフェソの信徒への手紙 3章14~21節
神はありてある者です。天地創造の前に神はおられ、そしてクリスチャンになる人間も定めておられました。1章3~4節には、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神はほめたたえられますように。神は私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」と書いてあります。神の選びは永遠の昔から定められていました。永遠の長い前から、わたしたちの選びが決められていたことは驚きです。そして、この聖句を読む度に、神のご計画は決して変わることがないことを知らされます。神の秘められたご計画は、初めに神の御心の内に生まれ、次に時を超越した所で完成し、それから実行に移されます。全能の神が立てられた計画は必ず実現します。この神の偉大な働きのために、パウロは御父の前に膝まずいて祈ります。
神の家族には、神を信じる全ての人が含まれています。過去・現在・未来にわたる神を信じる全ての人です。このすべての家族は、神によって命と力を与えられたのです。イエス・キリストへのこれらの人々の信仰と兄弟愛は、しかしまだ未熟でした。人の内に働く神の力が聖霊です。彼らが授かった聖霊はまだ、彼らに十分に働いてはいませんでした。十分に働くと、御父の豊かな栄光によって、神の家族である人々の内に聖霊が豊かに宿ります。すると内なる人を強めて、信仰によって神の家族であるエフェソの人々が、心の内にキリストを宿します。その結果として、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者となるのです。聖霊が心の内に宿る時、愛が宿るのです。聖霊による愛は偏愛ではありません。身内を愛し、よそ者を排除するのは、人間的な愛に過ぎず、聖霊を宿した神の愛ではありません。聖霊を宿した愛は、これからもどのような時でもあります。愛の神はありてあるものです。ある時は愛に満たされ、ある時は心が冷たくなるという愛ではありません。
パウロは「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」と神に祈っています。また、ひろく、長く、高く、深い主の愛を知り、人の知識を越える愛を知り、ついには神の満ち溢れる豊かさのすべてに与かり、それによって満たされるように、と祈っています。神の聖霊が心に定住する時、周囲がどのようであっても、愛を失うことは無いのです。