聖霊降臨節第2主日礼拝 三位一体主日
讃美歌:7、351、29
説教:「信仰の戦いを戦う」 加藤 智恵牧師
聖書:テモテへの手紙 一 6章11~16節
6月に入りました。どこにも行けない不自由さは、ストレスがたまるばかりです。そのようなことを体験してきましたが、漸く外に出られる自由を感じています。
本日与えられた聖書個所は、パウロが愛するテモテに送った牧会書簡です。信仰深い祖母と母から信仰を受けたテモテは、敬虔なクリスチャンであり、当時エフェソの教会で伝道牧会をしていました。テモテは若くても評判の良い人であり、パウロは我が子のようにテモテを可愛がっていました。テモテはエフェソの教会に遣わされた訳ですが、牧会の困難に直面しており、耐え難いストレスのために苦しんでいました。
パウロはテモテに牧会について教えと励ましを与えるために、この手紙を書きました。パウロはまず「違った教え」や空論に惑わされることなく、健全な教えをしっかりと守るように勧めています。また、人間的弱さについては、主イエスによって強められ、良い証しをするように勧めています。
パウロは長い手紙の最後に、神の人のあり方について書いています。11節「神の人であるテモテよ、あなたは金銭欲やねたみ、争いなどに振り回されたり、巻き込まれることの無いように逃げなさい。」と勧めています。今も昔も、牧会者の心労は並たいていのものではないのです。そんなことよりも、神に目を向け、「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。」と勧めています。
教会は皆が敬虔なクリスチャンと思うのは幻想です。信仰には戦いがあります。なぜ私たちは信仰の戦いを戦わなければならないのでしょうか?漠然とした答えですが、永遠の命を頂くことが出来るからです。永遠の命とは、私たちの想像を超える偉大なものなのです。
テモテは永遠の命を得るために神から召され、任職の時に、当時ローマ皇帝礼拝が盛んだった中で、「イエスは主なり」という信仰を立派に表明したのです。これは勇気のいることでした。そして、牧会者となったテモテには、様々な事が待ち受けていました。若いテモテは、牧会の難しさに耐えがたいストレスを抱えていましたが、「主は必ずテモテを助けて下さる。だから落ち度無く、非難されないように、注意しながら、主の教えを守り、牧会を続けなさい。」とパウロは助言しています。パウロと言う信仰の大先輩が励ましてくれ、祈ってくれることは、どれ程テモテにとっては大きな慰めだったことでしょう。
パウロは言葉を尽くして、神の偉大さを語っています。この偉大な神を見上げ、神に信頼する時、そこには必ず祝福があります。そして真に恐るべきものは、この神お一人なのです。神は「近づくことの出来ない光の中に住まわれ、人間が誰一人見た事の無い、また見る事が出来ないお方なのです。」これは神の栄光の輝きです。神は光であって闇はありません。
神はわたしたちの全てを見ておられます。神はそれぞれの人たちに、正しく報われるお方なのです。光の中を歩み、信仰の戦いを戦って行きたいと願います。
祈り
父なる神様、尊い御名を讃美します。教会は必ずしも、皆が純粋な信仰を持っているとは限らない所であると、パウロは言っています。しかし、どの様な困難があっても、主は見ておられます。主の目に適う人を決して見捨てることなく、祝福を与えてくださり、光の中に導いて下さいます。闇を遠ざけ、光の中を歩む者としてください。全てを見ておられるお方が唯一の主権者であることは大きな励ましです。どうか、主が私たちを常に新しく創造して下さい。主に栄光がありますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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