「万事が益となる」 加藤 幸夫兄
ローマの信徒への手紙 8章26~30節
私は1948年に名古屋で生れました。3歳の1950年の大晦日近くに39度以上の高熱にうなされ、年が明けた松の内開けにようやく熱が下がりました。熱は下がりましたが、後遺症が残りました。身体障害者手帳には、脊髄性小児麻痺による右足関節機能全廃と書かれています。私の生涯で一番大きな出来事です。両親は子供が障害を負ったことが不憫でならず、何とか神や仏の力で治らないものかと、以来我が家は神と仏が花盛りの家となりました。月に一度、神主さんがやって来て祝詞を挙げ、お祓いをします。名古屋は由来、浄土真宗東本願寺派の盛んな地で、我が家も東本願寺の門徒でしたが、奈良の華厳宗の総本山東大寺にも泊りがけで参詣に行くようになりました。けれど私の足が快方に向かうわけでもありませんでした。
熱心な仏教徒の家に生れた私がキリスト教信仰に触れたのは、一重に連れ合いのお陰です。連れ合いがそれまで居た教会でつまずいて、新しく教会捜しをするから一緒に捜して欲しい、と頼まれて教会捜しに付き添って池袋西教会に巡りました。日曜日に家にほったらかしにされるのにも飽きてきて、私も興味半分、冷やかし半分といった気分で礼拝に足を運びました。そのうちに牧師から火曜日の夕方に入門者コースがあるから、そこにも出てみないかと誘われ受講生になりました。一年近く通ううちに、牧師から受洗を勧められました。マリヤが処女で受胎するとか、イエス様が湖の上を歩いたとか、二匹の魚と五つのパンで5千人の男を養ったとか、眉に唾するような話は今ひとつ理解できなかったが、牧師の人柄と教会員の雰囲気が良かったので、半信半疑のまま1989年のクリスマスに洗礼を受けました。この後のクリスマス祝会で受洗の感想を述べる機会が与えられ、高ぶっていた私は「これを機会にタバコをやめます」と高らかに宣言したのです。けれど長年の悪習は宣言では解消しません。その後も吸い続けました。そのつけは20年たってから現れました。2009年9月6日の朝、突如左側に倒れこみました。救急車で病院に運ばれ、MRIの画像写真を医師は解析しながら、タバコの吸いすぎによる脳梗塞です、と診断しました。左半身が麻痺しました。まさしく主、恐るべし。どうしてもタバコが止められない私を主は病気という手段をもってストップさせようとしたのでしょう。そう言えば、眼が醒めて最初に思い浮かんだ聖句は「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」の箇所です。タバコが捨てられない私に益となるように病を発症させ、止めさせたのでしょう。杖を必要としますが歩行する事は可能です。十分ではないけれど、必要な部分は満たしてくれている。試練と思えるようなことも何とか乗り越えて、万事が益となるように取り計らって下さっている。万事が益となることを信じて、残された信仰生活も歩みたいと思います。