「主の道をまっすぐにせよ」 加藤 智恵牧師
マラキ書 3章19~24節 ヨハネによる福音書 1章19~28節
本日、聖書日課として与えられたマラキ書は、旧約聖書の最後の預言書であり、最後を飾る聖書個所です。3章23節には、「大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす」とあります。ここで「大いなる恐るべき主の日」とは、主イエスがこの世にお生れになる日であり、預言者エリヤとはバプテスマのヨハネのことを指しています。主イエスは突然来られるのではなく、その前にバプテスマのヨハネが神から遣わされて、彼は荒野で、イスラエルの全土で、悪の道から立ち返り、主の道をまっすぐに整える役割を果たします。神が突然来られて、人々の悪しき行いを見て、人々を破滅することがないために、まずヨハネによって人々が悔い改め、その後に父の独り子である、聖なる罪の無い御子を私たちに与えるために、神はあらかじめ周到な準備をされたのです。これは、御子イエス・キリストの誕生が、神の思いつきや気まぐれではなく、全く完全に聖書の預言の成就として、イエス様がお生れになったことを証明しています。
次に新約のヨハネによる福音書1章19~28節に移ります。バプテスマのヨハネの証しです。マラキ書の預言の成就をここに見ます。
エルサレムの宗教的指導者たちは、祭司やレビ人をバプテスマのヨハネの許に遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせました。バプテスマのヨハネは、メシアではない、エリヤではない、モーセが立てると約束した預言者でもない、と3度違うと答えます。そこで業を煮やしたユダヤ人たちは、「それでは一体あなたは自分をなんだと言うのですか」と尋ねます。するとバプテスマのヨハネは、イザヤ書40章3節を引用して、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」と答えます。ではどのように叫ぶのかと言うと、「主の道をまっすぐにせよ」と叫ぶ声である。「不信仰で闇の世界に住む人々に、真の光である主が来られる。だから、主が来られる道をまっすぐにせよ、とわたしはユダヤ人に呼びかけているのだ。」このようにバプテスマのヨハネは答えます。ヨハネは自己を否定することによって、イエス様を浮かび上がらせます。
さらにユダヤ人は「あなたは、メシアでも、エリヤでも、またモーセが預言した預言者でもないのに、何故バプテスマを授けるのか」と問いかけます。ヨハネは答えます。「自分が授けるバプテスマはメシアのような罪の赦しの為ではない。また、ユダヤ的な清めの儀式でもない。後から来られる、あなた方が知らない方の道を整えるのに過ぎない者なのだ」と自分の身分を語ります。
アドベントのロウソクに3本の火が灯りました。主はもうすぐ私たちの所に来られます。主は近いのです。私たちは喜びに満ちて、主の来られるのを待っています。