「御心に反して」 加藤智恵牧師
ヨハネによる福音書 3章13~21節 創世記 3章1~15節
創世記3章には、人間の堕落について書いてあります。「禁じられた木の実を食べても、神が言われるように死ぬことはない。むしろ神のように全てを知る者となれる」と蛇は女に言います。蛇の誘惑は「神のようになれる」という女にとっては、心地よい誘惑でした。私たちは、神に従う者であり、自分が神になってはいけないのです。沢山の園の木の実が与えられているにもかかわらず、「園の中央に生えている木からは食べてはいけない」という神の禁止命令を忘れ、女は園の中央に生えている木の果実に捉えられて、それを取って食べてしまいました。また、一緒にいたアダムにも与えたので、彼も食べてしまいました。それ以来、彼らは自分たちが裸であることを恥ずかしく思い、神を恐ろしく感じるようになりました。彼らは神の忠告を破り、罪の現実が入って来て、かつては平気であったことが、今は恐れとなり、かつては光栄であったことが恥と代わりました。
人は神に対して罪を犯した結果、神に対して「敵意」を抱くようになりました。人はこの蛇の奴隷となって、神を憎む者となったのです。しかし、神は「お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く」と言われました。お前の子孫とは、サタンの側に立つ者、女の子孫とは、神の側に立つ者を意味しています。神の側に立つ者には、神の憐れみと祝福が与えられるのです。事実、神は主イエス・キリストをこの世に送ってくださり、神の子であり、全く罪の無いお方を十字架に付けて、神への捧げ物としてくださり、私たちをエバが犯した罪から解放して下さいました。主イエスを信じる者には、神の子としての特権を与えて下さいました。
次に新約のヨハネによる福音書に移ります。ニコデモというユダヤ人の議員が、主イエスと親しく会って、宗教の真理について教えを受けるために、夜イエスの許にやって来ました。主イエスは「はっきり言っておく。人は新たに生れなければ、神の国を見ることが出来ない」と答えます。ニコデモは「新たに生まれる」ということを、もう一度生まれると解釈したのです。しかし、主イエスの教えは全く違っていました。この新しい誕生は、水と聖霊によってもたらされます。それは、悔い改めの信仰と聖霊の働きによるものであり、主イエスを信じる信仰により、神が与えて下さる霊的誕生こそが、新たに生まれることなのです。
キリスト教は神の独り子を与える程に世を愛された、深く徹底的な神の愛に根ざしているのです。神の愛は、罪ある者をそのあるがままの姿で受け入れて下さるのです。神の御心に反する者を、神は赦し、受け入れて下さるお方なのです。