「神は知っておられる」  加藤智恵牧師
コリントの信徒への手紙 二 11章7~15節  箴言 25章2~7a節

コリントの教会では、パウロが去った後に偽教師がやって来て、異なったイエスを宣べ伝え、自分たちが受けたことのない違った霊や違った福音を受け入れていたのです。そして偽教師たちはパウロに対して、無報酬で福音をコリントの人たちに伝えたのは、本当の使徒ではないからだと言っていました。当時、伝道のために巡回する教師たちは、行く先々でその教会から必要な物を受けていました。それは当然のことであり、パウロも伝道する事によってその権利がありました。しかし、パウロはまだ信仰の弱いコリントの教会から、金銭上の支援を受けるのは適当ではないという理由と、反対に欲得でやっているというような疑惑を受けないために、コリントの教会からは援助を受けない事にしたのです。パウロにとっては、偽教師から投げつけられた非難ほど辛いことはありませんでした。パウロは報酬を受けなければ、本当の教師ではないからだと言われ、報酬を受ければ受けたで悪し様に言われたのです。偽教師はとにかく口実を設けて、パウロをおとしめようとしていたのです。
パウロはキリストの真実にかけてこのように言います。パウロはアカイア州にあるコリントの教会で報酬を受けないという誇りは、誰にも妨げられることは無い、と。何故、そのようにパウロは言えるのでしょうか。それは、神が本当のことを御存知だからです。神は隠れたことも全て知っておられます。神の前で自分は潔白である、ということです。偽教師たちが何を言おうとも、神が知っておられる。人の目は誤魔化せても、神は隠れたことも全てお見通しである。これ程強い味方はありません。パウロはコリントの人たちからは、報酬を受けないで福音を伝えてゆくということを今後も続けると言います。その理由は、ずる賢い働き手である偽教師がコリントの教会でもしている事を断ち切るためであると言っています。偽教師は、彼らの業に応じた最期を遂げるでしょう、と断言します。
次に旧約の箴言に移ります。箴言とは「教訓を含む短い言葉」という意味です。(25章2節)神の判断は人の目には隠されています。人間には測り知る事が出来ないことがあります。しかし、王はそうではなく、国政上、司法上のことを詳しく調査し、正しい判断を下して、正当に処理するのが不可欠である。(3節)言葉と行動で人々に尊い感化を与える時に、王の知恵は現れる。(4~5節)金属から不純な物を取り除く。同様に、公正な裁判によって王は不純物を取り去る。そうすれば、その位は正義によって立つ。(6~7節)偉い人の間で生意気であってはならないと諭します。また、高貴な人の前では下座に座って、上座に来なさいと言われる方が良い、と言っています。
パウロの神に対する忠誠と箴言に書かれているような行いを神は喜ばれます。神は私たちの思いを超えて、はるかに高くいます方で、私たちを見ておられるのです。私たちの全てを知っておられる方なのです。この神様に守られている私たちです。神に賛美と喜びをもって、礼拝を守りたいと思います。

説教要旨(9月15日)