「新しい神殿」 加藤智恵牧師

ルカによる福音書 21章1~9節、ハガイ書 2章1~9節

 

イエス様は「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受ける事になる」と言っています。これは神からではなく、人からの誉れを受けるための行為であり、自分たちの罪を覆い隠すための物でした。続いてやもめの献金の記事が出てきます。やもめは現在の貨幣価値に換算すると約125円しか持っておらず、それをすべて献金してしまえば、明日空腹になってしまいます。やもめは貧しい中から生活費の全部を捧げたのです。犠牲を払い喜んでやもめは捧げたのです。この犠牲と喜びは、神がすべてを与えてくださることへの感謝から生じたのです。それに対して金持ちは有り余る中から献金しました。それは先の律法学者たちの態度と関連してみる時、自分たちの誉れを求める捧げものでした。また人に見せるために捧げものをしたのです。

エルサレムの神殿は3度建て替えられました。最初はソロモン王が建てました。しかし、紀元前586年にカルデア人によって破壊されました。バビロン捕囚から解放されたイスラエルの民は神殿の再建に消極的でした。このような中で、神は預言者ハガイを遣わされます。神殿再建に対して無関心な民に預言者ハガイは4つのメッセージを伝えます。1.神殿再建に対する挑戦、2.強くあれとの挑戦、3.深く考えよとの挑戦、4.信仰に立てとの挑戦です。ハガイ書2章1~9節は、2の強くあれとの内容が書いてあります。再建された神殿は、ゼルバベルの神殿と呼ばれています。イエス様の時代の神殿はゼルバベルの神殿をヘロデ大王の時に大幅に拡張したのでヘロデ大王神殿と呼ばれています。弟子たちはこの荘厳な神殿を見て、「先生、ご覧ください。なんと素晴らしい石、なんと素晴らしい建物でしょう」(マルコ13:1)と言っています。しかし、イエス様はユダヤ人が誇るこの神殿にも終わりが来ることを預言します。イエス様はどうしてこのようなことを言われたのでしょうか。それはこの預言がやもめの献金と結びつけられているからです。貧しいやもめの心からの献身こそが、神殿を支える態度として大切であることをイエス様は言われたのです。神殿は外観の立派さによって評価されるべきではない。教会は祈りの家であり、真ん中にイエス様がおられるのが真の教会なのです。教会が生ける神殿となることを神は願っておられます。

 

説教要旨(1月27日)