「しかし、お言葉ですから」 加藤智恵牧師
ルカによる福音書 5章1~11節、出エジプト記 18章13~27節
イエス様がガリラヤ湖畔に立っていると、群衆が神の国の福音を聞こうとして、イエス様の周りを取り囲みました。イエス様は岸にある2艘の船の1艘、ペトロの船に乗ります。岸から少し漕ぎ出して、イエス様は群衆に神の国の福音を教え始められました。続いてイエス様は「沖に漕ぎ出して漁をしなさい」とペトロに言われました。ペトロは「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。」と答えます。沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしました。すると、おびただしい魚がかかり、網は破れそうになりました。その時にペトロは感じました。この方は唯の方ではない。大いなる方である。不可能を可能にしてくださる方であることを、身を持って体験したのです。ペトロはイエス様の足元にひれ伏して「主よ、わたしから離れてください。私は罪深い者なのです。」と言いました。ここでペトロはイエス様に対して、先生という呼びかけから主よという言葉に変わっています。イエス様は「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる。」とペトロに言われました。神の召命です。イエス様から直接にこの言葉を聞いたペトロは、すべてを捨ててイエス様に従いました。「信じなければ確かにされない」(イザヤ書7章9節)とあるように、落ち着いて静まること、神の言葉を信じきることが大切だと教えられます。たとえ現実がどうあろうとも、神の言葉を信じるということは、大変難しいことですが、大事なことです。
出エジプト記に、かつてモーセは迷った羊を追いかけて、何時までも燃え尽きない柴に引き寄せられてシナイ山に近づく記事があります。その時、モーセはエジプトからイスラエルを去らせるようにファラオの前に立つことを命じられます。モーセの召命です。モーセの率いるイスラエルの民はエジプトを出てシナイ山の麓にたどり着きました。舅のエトロが訪ねてきました。エトロはモーセが座に着いて民を裁いている様子を見ます。そしてアドバイスを与えます。「信頼に値する人物を選び、小さな事件は彼らに裁かせ、大きな事件があった時だけ、モーセのところに来させるように。あなたはそうすることによって、任に堪える事ができる」と。
夜通し漁をしても何も採れなかったペトロでしたが、イエス様のこれから漁に出なさいという言葉に、ペトロは「しかし、お言葉ですから」と言って漁に出かけました。そのようにモーセも主の命令によって、ファラオの前に立ちます。主が共にいてくださるというのが唯一の助けでした。「しかし、お言葉ですから」という主に対する態度は、この世の人間的な生活から離れて、神の御心に従って行く態度です。